思い出の昭和、そして上月町
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(第48話)力道山

<<2007.1.2記>>
私が大変に幼かった頃、たぶん昭和35年から37年頃だったと思うのですが、テレビというものがまだ家には無かった。
となりの村の同級生(女子)のTさんちには既にあったと言うことは覚えています。それはそれはまさに「3丁目の夕日(ビッグコミックオリジナル-小学館連載)」に出てくる筐体があの真四角なデザインで、画面の隅がまあるい、あのテレビです。
その村には当時駐在所があり、また他のご商売の方も沢山居られまして、それこそまだまだ日庄地区の中心を支えているといった様相が残っていたころの話です。
駐在といっても田舎のこと、事件も何もないのです。暇です。あるひの夕方川原で魚つりをしていたんです。まあ、のどかなもんです。
そこを通りかかった私の親父、自転車の後部に私を乗せていました。で、その川原を通りかかったとき、その駐在さんは「****さん!今夜やで!」となんか気楽に声をかけてきたのです。
私は何のことか分かりませんでしたが、私の親父は「おー、そやな、今夜やな、分かった」といって通り過ぎていきました。
果たして、その夜私の親父は夕飯後に黙って外へ出て行きました。
どうも決まって金曜日の夜には居ないのです。

それから1年から2年後に我が家にも(私の村一緒に)テレビがやってきました。東芝の白黒テレビであります。4本足がはえていて、画面の隅のまるさが幾分かはとれていた16インチテレビ。
そして、我が家の家族、そして村の他の家族それぞれも金曜日の夜8時を楽しみにするようになったのです。
それは当時の我々にはあまりにも刺激のつよい、「プロレス」というものであります。ブラッシーなんて出てくると怖いのですが、なにか魅惑的なものでありました。何せ、力道山というレスラーの人気ってのは凄かったですもの。一部では既にショーだからなあ・・・と覚めた見方をして(看破して)いる人も既にありましたが、我々少年はそんなことはどうでも良いのです。
まあ、ショーと言われても仕方が無いでしょうけどね。放送時間の際際になってから、やっと力道山の空手チョップが炸裂するのですから・・・・
それなら最初から炸裂させておけばよいものを・・などと私たちも感じてはいました。しかし、相手の反則(凶器等)に怒って、ついに空手チョップが炸裂という筋書きでなければストーリとしてはつまらなかったのでしょうが。
そ、そうかあ!!あの金曜日の夜と言うのはどうも隣の村でご商売されているどこかで、このプロレス鑑賞会(?)をしていたのかあー!うちの親父は。
と気がついたのもその辺りでありました。
そして、三菱電機の掃除機がリングに登場して、リングを掃除する場面が出てくるのです。いくらスポンサーだからといっても、あざといのであります。
我が家の初の掃除機は日立でしたけど・・・・。 その力道山も1963年に亡くなりました。と、同時にプロレスを視る・・・ということもなくなりました。
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