思い出の昭和、そして上月町
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(第22話)蒸気機関車

蒸気機関車は1970年の3月まで、この姫新線では活躍していました。私が中学2年生にあがろうかという春休みをもって蒸気機関車が廃止されたわけですが、私自身はそれほど感慨深い思いはありませんでした。
それは鉄道自体にそれほどの興味があったわけではないからです。
しかし35年も経った現在、思い起こしてみるとSLが走っていたなんて信じられないというか、リアルタイムに経験していたという事実は他人であったような・・・、妙な感じになります。
さて、その姫新線は実は当方の家の裏を畑を一枚はさんで山側を走っているのです。今と違って昔は結構な便があり、私たちは外で遊んでいても、通った汽車で時間を知っていたくらいです。
貨物が通ると午後4時のやっちゃな・・・てなもんです。

この辺を走っていたSLはCなんとかでした。詳しくないのでよく覚えていませんが、確かC56だったような気がします。とにかく動輪が3軸のものです。
私の家の近くは踏み切りと鉄橋が並びであるので、くだり便が私の家の前辺りで「ぽーーー!!」と汽笛を鳴らしていました。
このSLに乗って姫路まで遊びに行っていたのです。トンネルが近づくと誰もが窓を閉めました。でないと煤煙が客室に入ってくるからです。しかし、機関車の直ぐ後ろの客車にはあまり入ってきませんでした。煙突から近すぎて、窓に回り込むことができなかったからです。

さて、この汽笛ですが中学1年生の入学したてのある英語の時間を思い出します。

中学1年になった1969年の春、まだまだ自動車はどこのお家にもあるってな事は決してなく、現在のように上月町内が近場っていう感覚はありませんでした。幕山地区、久崎地区は上月地区に住む私から見ると、全く遠い地域だったのです。
当時の上月中学校は上月駅から言うと、やや西よりの対面の山の斜面にありました。中学から言うとやや東よりの向こう側に上月駅が見えたのです。そんな中学校も本年、さらに西側に移設されました。
さて、当時は幕山小学校、上月小学校、久崎小学校が町内にありまして、中学は久崎中学校、上月中学校の2校がありました。
幕山小学校を卒業したみんなは上月中学校まで自転車で通ってきていたのです。
上月町という町自体が結構田舎ではありますが、幕山となりますと、さらに奥になるわけでして、普段汽車を見るとチャンスは現在に比べたら格段に少ないでしょう。余談ですが中国縦貫自動車道が開通するのはさらに6年くらい後のことです。
中学に入学して間が無いある英語の授業中のこと、突然駅の方向から「ぽーーーー!!」と出発合図の汽笛が聞こえてきたのです。
そのとき幕山から来ていた数人が「そわそわ」し始めたのです。
その様子を見かねた英語の教師「I」先生は優しい声で「みなさん、立って見なさい」と汽車が駅から出て行く様子を見ることを許しました。すると数人の生徒が立って駅の方を見ていました。
なにが言いたいかと言いますと、それほど当時は今では考えられないほどに行動範囲が狭い生活をしていたんだなあー、こういうことです。

その証拠に私が中学生になったばかりのころのこと、今では普通の行動範囲である久崎地域に当時自転車で行った日には、あの旧双観橋の構造がすごく遠い地域の風景の様に感じたことがあるくらいですもの。しかも久崎小学校のあの鉄筋コンクリートの建物を見たときなど、同じ上月町内という感覚がピンとこなかったくらいですから。
<<2005.09.24記>>
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